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馬路町

▼2010年12月01日 平の沢池

運転に疲れたので癒しの池へやってきました・・・。とても見通しの良い平の沢池です!可愛いカモがたくさんいて和みます。なんでも、京都では唯一、全国的にも有数のオニバスの自生地なんだそうです!8月頃から花が咲き始めるそうで・・・少し行くのが遅かったようですね(笑)近くに練習場でもあるのか、上空を飛行するパラシュートを発見してしまいました。冬の朝の散歩に丁度良さそうな池周辺・・・パワーをもらって、さあ、運転再開です!!
場所:亀岡市馬路町池尻

平の沢池





●馬路町●


馬路町は河原町町と続いた亀岡唯一の田園地帯です。千歳町とともに早くから開けただけに、古瓦、土器の出土も多く車塚などの古墳に見るように歴史的に重要な地域とされています。

また明治維新には勤王派西園寺公望の率いる山陰鎮撫の一隊が慶応4年、愛宕山麓から馬路に入りました。この時の馬路の土豪弓箭組の人達は、錦旗をひるがえしてやってきた一隊に組し、丹波諸藩はもとより山陰鎮撫に協力したという歴史を持つ町でもあります。

亀岡における明治の黎明は、馬路から始まったと言っても過言ではないでしょう。



●長林寺の鬼瓦●

≪馬路町の伝説≫

この寺の門の鬼瓦は、昔瓦つくりの名人と言われた「たねしの権兵衛」の作であると言われています。

権兵衛は3ヶ月の間毎日職人に土練りをさせ、自分は毎日大酒を飲んでブラブラしていましたが、土練りができあがると食事以外の差し入れを一切禁じて一切の面会を断り、この鬼瓦と獅子瓦つくりに没頭したという話が残っています。



●天満宮社●

≪馬路町池尻68番地≫

祭神の菅原道真公が広く学問を修め、学徳見識高く聖人偉人とあがめられたのは周知の事実ですが、当時の池尻の村人たちも公の神徳を仰ぎたいと考え天満宮として祀ったのがはじまりです。

その当時は小さな祠に御祀りしていましたが、1458年に社殿を新築した際村人たちが不思議な霊感を度々感じたため、協議の結果1488年にさらに社殿を新しくし、同時に今まで出雲神社の氏子であったのを改めてこの天満宮を氏神とすることになりました。

今では学問の神様、雷等の災除けの神様として「池尻の天神さん」として親しまれています。

天満宮の使徒が「牛」であることはよく知られていますが、この地では牛肉を食することを慎み、特に祭典の行われる日や毎月25日には牛肉を食卓にのせない習慣が今でも続いているようです。



●小川月神社●

≪馬路町月読16番地≫

この神社は大井川に比較的近く、応仁の乱の頃に兵乱と大洪水のため神域のほとんどが流失してしまいました。現在はやや狭い地域が神域となっていますが、この神社を中心とした約1.3ヘクタールの田地が「月読」として現存しているので、この田地が昔の神域であったのではないかと思われます。

その昔、北条時頼が諸国巡業をし小川月神社を参詣したとき、その家臣人見次郎貞村をこの神社の守護に命じました。以後人見家が30代に渡って守護をし、その後は氏子総代が神社の維持運営にあたっています。

現在は出世の神、五穀豊穣商売繁盛の神としてあがめられています。



●八幡宮社●

≪馬路町流川1番地≫

この神社の創設は寿永元年(1182年)と言われ、この地方で古い神社の一つです。

記録によると昔から子どもが生まれたら必ずこの社に子どもの武運長久を祈願するために宮参りを行ったとあり、現在でも子どもの健やかな成長を願ってお参りする氏子が多くいるそうです。


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