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宮前町の歴史

▼2012年09月01日 宮川神社

宮前町の宮川神社です。 うっそうとした森の中にあり、なんともいえない静かな雰囲気でした。

元々の建物は、天正5年に明智光秀と波多野秀治の合戦の際に消失してしまいましたが、 場所を移し再建したのが現在の宮川神社です。

祀られている神様が下賀茂神社と関係が深く、葵祭の行列には氏子青年が奉仕に参加されているそうですよ(^^)


場所:亀岡市宮前町

宮川神社


▼2012年03月01日 宝林寺

先日のとある雪の日に出かけた「宝林寺」です! 江戸時代のはじめの開創で、指定文化財の三如来像と九重石塔が置かれているそうです。 元々、これらは他の寺にあったそうですが、光秀の丹波攻めの際にそのお寺が焼失してしまい、 この宝林寺に移動されたのだとか・・・。
宝林寺は近くにある佐々尾神社とともに亀岡の自然100選に入っているとのこと! 確かに回りは自然豊かな田舎風景でした(^^)

場所:亀岡市宮前町神前狭間27 宝林寺



●宮前町●


遠く延宝時代から昭和の戦後まで採掘されていた天然青砥石の生産は全国的に有名でしたが、残念ながら現在は採掘されなくなりました。

宮川の金輪寺から見る冬の霧の海亀岡の眺めは素晴らしく、多くの写真家が狙う亀岡の景物だそうです。



●宮前の古狐のたたり●

≪宮前町の伝説≫

むかし宮前の近くに名高い名医が住んでおり、一度その医者に診てもらうとどんな難病でもかならず全快するという評判だったため、家も豪奢を極め立派な家がまえでした。

ところが小雨が降るある夜のこと、真夜中の一時に医者の家の扉をしきりに叩く男がいました。医者が起きて戸を開くと男は悲しそうな声で「ただ今私の妻が難産で生死のほども分かりません。身にかなうことでしたらどんな事でも御礼をいたしますので、是非ご足労頂けませんでしょうか」と頼むのでした。しかしよく見るとその男の顔が次第に狐に変わり、医者は恐ろしさの余り震えるばかりでした。狐はその後も精一杯のお願いをして先に山へ帰りましたが、医者は恐ろしさのため狐の頼みを聞きませんでした。

それから2、3日経ち、村人達が「向こうの山にの母子が死んでいる。可哀想に難産のため死んだようだ」と語り合っていました。
それからしばらくして医者の立派な邸宅は人に渡り、栄華を誇っていた家が急に没落してしまったそうです・・・。



●宮川神社●

≪宮前町宮川神尾山2番地≫

神社のある「神尾山」は、古くは山号を「神野山」と言いました。神野山とは、神様が高天原から天降り鎮まります山、という意味です。

天正年間(1573〜1592)明智光秀と波多野秀治の神尾山城の合戦の際、光秀軍の兵火に罹り寺院の一部を除いて焼失しています。その後、毎年頻繁に落雷し田畑に不作が続いたため、これは大神様の祟りだろうと村の人は恐れ、徳川家光の時代に現在の位置に社殿を造営し宮川神社として祭神を祭りました。

ちなみにこの神尾山城ですが・・・
『総見記』によると天正年間(1573年-1592年)明智光秀が八上城攻めの中継基地として「本目の城」を使った、との記載が見受けられ、両文献に記載される本目城とは神尾山城を指すと推定されています。



●秋葉神社●

≪宮前町宮川岡山36番地≫

火の守護神、また災難よけの守護神として宮川区をはじめ近隣からの信仰も篤く常に参拝者があります。

毎年1月17日を「タチマチ」と言い、秋葉神社に参詣し、夕方から夜にかけて各町ごとに当番の家でお祭りをして守護を祈願する古い風習があります。
9月17日の例祭には昔から奉納大相撲があり近郷になり催しとなっていましたが、最近はそれが絶え代わりに新しい種々の催しが奉納されているようです。



●稲荷神社●

≪宮前町神前東條3番地≫

五穀豊穣、家内安全、御家繁盛守護の大神様で、一粒万倍の神徳には信仰篤く、元旦・節分・初午・例祭日には崇敬者によってお祭りがなされています。

祭神の「宇賀之御魂大神」は「倉稲魂命」とも言い、稲霊の神格化したものです。農耕民族にとって稲は最も大切な食料で、従ってそのものあるいは五穀を守護する神様です。


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