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    旧町の歴史


    ▼2013年06月15日 亀山城跡

    亀山城跡へ出かけてきました!前回で出かけたのは昨年の紅葉の季節でしたが、 今は新緑が大変綺麗な時期です。 連日真夏日が続いていますが、避暑散歩にはいい場所です(^^)
    この亀山城を築城した明智光秀を大河ドラマ化する署名活動がありまして、 署名数は順調に伸びている様子です。 2013年5月現在約40,000署名・・・もうそんなに増えたんですね!目指せ10万署名!



    場所:JP亀岡駅前 亀山城跡

    亀山城跡,明智光秀



    ▼2013年03月09日 本町分譲地裏の天満宮

    3月9日、本日は大変いいお天気! 弊社にて現在分譲中の亀岡市本町(旧町)分譲地まで、写真を撮りに出かけてきました! この辺りは周りにお寺がたくさんあるのですが、その内の一つ、分譲地のすぐ裏にある天満宮横で、 咲きかけの梅の花を見つけました(^^) 少し濃い目のピンクが大変綺麗な梅でした。 まだまだほとんどが蕾ですが、一つだけ咲いている花を発見♪ もう季節は春ですね・・・これからどんどん開花して満開になるとさぞ綺麗なことでしょう!! 分譲地を見に来て頂いた方は、是非その裏の梅の花もご観賞下さいませ!

    場所:弊社 亀岡市「本町」分譲地 裏

    天満宮



    ▼2013年02月03日 亀山城跡

    何度か見て歩きで登場した亀山城跡、ここは秋の紅葉の綺麗さでも有名だと思います! 昨年秋に紹介しそびれたのですが、2012年の紅葉も大変綺麗でした!! 人通りもあまり多くないので、ゆったり境内を歩きながら観賞できるのが嬉しいですね^^
    2013年1月、もうすぐ梅の時期です。 城跡の表通り、入口の少し右辺りに梅林がありまして、毎年紅白の梅が綺麗に咲いています!! 今年もまた出かけたいと思います♪

    場所:南郷公園裏 亀山城跡

    紅葉,亀山城跡



    ▼2012年11月17日 旧町の聖隣寺!

    旧町の聖隣寺へ出かけてきました! 入口にちょっと不気味(?)でユーモラスな像があってびっくりしました(^^)
    境内には織田信長の供養塔があるそうですよ。 明智光秀が大山崎の合戦で敗れた後、亀岡は豊臣秀吉の支配地となり、 豊臣氏の重臣が城主として配置されたのですが、 その中の一人に、秀吉の養子となり羽柴秀勝として亀山城主に配置された織田信長の四男於次丸(おつぎまる)がいいました。 供養塔はその秀勝が父信長の菩提を弔うため建立したのだそうです。
    さすが歴史溢れる亀岡旧町、光秀、信長、秀吉など有名人関係のエピソードがたくさん出てきて、興味深いですね♪

    場所:亀岡市西竪町

    聖隣寺




    ▼2012年11月10日 亀山城下のお堀跡!

    亀岡旧町のお堀です! 城下町の面影が残る旧町にはたくさんのお堀跡がありますが、 このお堀は亀岡城南東の三重目のお堀、一番外の堀にあたります。 このお堀の外にちょうど足軽屋敷や御旗・同心組の組屋敷がありました。 敵襲の際には真っ先に駆けつけられる位置ですね。
    亀岡城下町には亀山城の堀の跡がたくさん残っていますので、 散歩がてら辿ってみるのも楽しいと思います(^^) そういえば、小さい頃通っていた亀岡小学校の裏側にも小さなお堀がありましたよ♪

    場所:亀岡市西竪町 聖隣寺の横

    堀




    ▼2012年11月03日 稱名寺!

    琉球に渡った袋中上人が建立された・・・亀岡西竪町の「稱名寺」へ行ってきました! 境内にはなんと、東別院町の小泉から移されたとされる、 平安時代中期の女流歌人、和泉式部の墓と言われる 五重宝きょう印塔があるのだそうですよ♪
    一度は亀岡城下の大火で焼失してしまったのですが、 その後無事再建されたようです^^

    場所:亀岡市西竪町20

    稱名寺




    ▼2012年10月28日 嶺樹院!

    亀岡藩主菅沼定芳公の母君が先祖を弔うために建立された「嶺樹院」へ出かけてきました! 場所はスーパーマツモトの裏手ですが、少し道を入った所なので見つかりにくいかもしれませんね。 このお寺には菅沼定芳公の宝物で中国の碧眉(或いは顔輝)の筆と伝えられる「達磨半身図」が 伝来しているのだそうです! 毎年11月5日頃の達磨忌の法要ではその図が見られるそうですよ^^

    場所:スーパーマツモト中央店裏手

    嶺樹院




    ▼2012年05月12日 旧町の丹山酒造

    亀岡市旧町にある、丹山酒造さん! 酒造の無料見学もOKで、亀岡の観光スポットの一つになっています^^
    お酒があまり飲めない私ですが、酒造見学はいつかしてみたい・・・と思う今日この頃・・・。

    ところで、造り酒屋さんの軒先でよく吊るされているのを見かけるボール状のもの、 これが何かご存知でしょうか?
    これは「杉玉」や「酒林(さかばやし)」と言いまして、杉の葉を丸く固めたものです。 酒造期に入って最初のお酒が搾られた時に、緑の杉玉を吊るします。 つまり、新酒が出来たことを知らせる役割を果たしているんです。
    吊るされたばかりの杉玉はまだ緑ですが、だんだんと枯れて茶色くなってきますので、 この色の変化が新酒の熟成の具合を表しているというわけです。

    現在では居酒屋さんなどの飲食店さんの軒先きに飾られたり、酒好きの方が自宅に飾るケースもあるのだそうです。 確かに風情があっていいですね(^^)

    場所:亀岡市横町7番地

    丹山酒造




    ▼2012年05月10日 南郷公園の鯱瓦

    亀岡駅前中央通を真っ直ぐ進んだ突き当り・・・南郷公園の入り口に、2体の鯱瓦が設置されています! この鯱瓦(嘉永5年造)、元々は亀山城天守閣の家棟にあったものでしたが、 明治11年頃の廃城とともに降ろされた後、明治13年に現在の京都府立医大の新築の際に寄贈されたそうです。 残念ながら2体の内1対は破損してしまったそうですが、残り1体は大学に保存されています。

    南郷公園にある2体の鯱瓦はレプリカですが、 愛嬌のある表情がとてもユニークでした!
    公園の散歩道の新緑が大変美しい時期ですので、散歩がてら通りかかられた方は是非、 鯱瓦も鑑賞されては如何でしょうか(^^)

    場所:亀岡駅前南郷公園

    南郷公園の鯱瓦



    ▼2012年03月09日 古世地蔵

    先日、弊社新物件の荒塚町売土地のチラシ配りの最中に見つけた「古世地蔵堂」です。 ここには平安時代の武将、源頼政の守り本尊”矢の根地蔵”がお祭されているそうです。

    縁起によりますと・・・
    夜な夜な現われる鵺に悩まされた帝が、高僧に祈祷を命じるも効果がなく、 武芸に秀でたものに警護をさせることになったそうです。 その時に選ばれたのが源頼政で、頼政は代々家に伝わる地蔵に祈願して見事鵺を退治したのだとか。
    頼政が1180年宇治川の戦いで敗死した時、その亡骸は西つつじヶ丘の頼政塚に葬られ、 この地蔵が”矢の根地蔵”としてこの地に安置されることになりました。
    地蔵は一般的に錫杖を持っていますが、 頼政の鵺退治が弓矢によるものであったことから、 錫杖を弓矢に持ち替えた姿で表されているのだそうです!

    ちなみに・・・
    鵺退治での功績で頼政が丹波に得た地は、弓退治であったことから 「矢代荘(矢田荘)」と呼ばれるようになったとのことです。

    この「古世地蔵」といい、「頼政塚」といい、亀岡は源頼政に縁がある土地ですね(^^)

    ちなみにちなみに・・・チラシ配布中の荒塚町売土地情報はトップのおすすめ物件にありますので、宜しければご覧下さい!!

    場所:亀岡市旧町内 スーパーマツモト近くの交差点 古世地蔵



    ▼2011年12月10日 本門寺

    本日のお寺巡りは、亀岡市本町の「本門寺」です! 法華宗の日蓮聖人の弟子日弁上人の鷲山寺(千葉県です)の表本山です。 本堂に「鷲大名神」が祀られているのですが、この「鷲大名神」、日蓮上人に由来するのだとか。 日蓮上人が1265年に上総国の小早川内記の家に滞在し国家平穏を祈っていたところ、 俄かに金星が明るく輝き出し、鷲妙見大菩薩が現れたのだそうです・・・。

    実はこの本門寺のほぼ真ん前あたりで、新築を分譲させて頂いていました(^^) 現在はすぐ近くの旧町で物件を紹介中ですので、興味のある方は弊社までお問合せ下さい!
    場所:亀岡市本町

    本門寺



    ▼2011年12月03日 大圓寺

    本日のお寺巡りは、亀岡市西町の「大圓寺」です! 亀山城主小早川秀秋に寄進された”五箇所寺”の一つでもあるのだそうです。 また、境内の薬師堂に祀られている薬師如来(亀岡市指定文化財)は”亀山薬師”とも呼ばれ、 元々亀山城の天守付近に祭られていたんだそうですよ。 これは関西でも珍しい仏像なのだとか・・・一度見てみたいですね(^^)
    場所:亀岡市西町

    大圓寺



    ▼2011年11月26日 誓顕寺

    亀岡市旧町のお寺巡り、本日は豪族有馬則秀が開祖の「誓顕寺」です! 境内には亀山藩を代表する文人として知られる、軽森野楊(かるもりやよう)のお墓があるそうですよ! 軽森野楊は亀山藩士で、松尾芭蕉の十哲の一人である榎本其角の俳風を亀山に伝えるのに活躍した人物。 参勤交代の道中や江戸において俳諧の人々と交流し、 なんと当時の俳壇において”日本の三俳人”の一人にあげられていたそうなんです! 全然知りませんでした・・・勉強になります・・・。
    場所:亀岡市塩屋町

    誓顕寺



    ▼2011年11月19日 宗福寺

    亀岡市旧町のお寺巡り、本日は春公麿が草庵として始めた「宗福寺」です!法然上人の専修念仏に感動されて 布教の拠点としたのがそもそもの始まりだそうです。 亀山城築城時には、城の末櫓として望楼を兼ねていたのだそうです! 城下町ならではのエピソードですね(^^)
    場所:亀岡市矢田町

    宗福寺



    ▼2011年10月22日 もうすぐ亀岡祭!

    今年もついに「亀岡祭」の季節がやってきました! 23日の宵宵山、24日の宵山、そして25日の本祭。 亀岡祭に先駆けて、旧町内や亀岡駅前はお祭一色です。駅周辺には灯り提灯などが飾られ、 旧町内は上り旗と看板でいっぱいです。
    写真は亀岡駅改札前の山鉾の提灯。私の他にも写真撮影をされる方が多数いらっしゃいました^^
    亀岡祭と言えば、旧町内の方々が山鉾の組み立てやお囃子の練習をされますが、 子ども心に「いいなあ」と思ったものです。一度友達と一緒に、本祭で山鉾を引かせてもらった事があります・・・ いい経験をさせて頂きました!
    週末は雨の予報でしたが、3日間とも晴れてくれるといいですね♪

    弊社の旧町内物件もございますので、宜しければご覧下さい♪ (→こちら)

    場所:亀岡駅周辺

    亀岡祭



    ▼2011年10月06日 専念寺

    亀岡市旧町のお寺紹介、今回は「専念寺」です!
    「専念寺」は織田信長の叔父であった源蓮社性譽上人を開山としています(^^)
    1592年には亀山城主小早川秀秋から二石の寄進を受けた亀山五箇寺の一つに列されました。 1670年に亀山藩主松平忠昭の菩提寺となり、寺領20石の寄進を受けて以降、歴代藩主・城主の庇護を受け続けたのだとか。 城下の大火の類焼によりお寺の一部が消失したのですが、 その時も藩主久世出雲守重之から木材の寄進を受けて再建されたのだそうですよ! 本堂に徳川二代秀忠、三代家光、四代家綱の位牌を祀っているため、 供養料として歴代亀山藩主から寄進を受けていたそうです。 古くからの由緒あるお寺なのですね。

    場所:亀岡市塩屋町

    専念寺



    ▼2011年10月02日 正誓寺

    亀岡市旧町のお寺紹介、今回は「正誓寺」です!
    実は私の小学校の通学路に位置しているため、小さい頃は毎日のように傍を通っていました(^^)
    ご存知の通り、亀山城下には、三宅・古世・中矢田・荒塚・安町・・・等の村々が組み入れられ、 近隣住民を移住させるとともに商工業者を集めて町並みが造られました。 さらに城の南を取り巻く三重目の堀として築かれた惣堀の内側には土塁を築き、 その内側に寺院を配置して有事には兵を駐留できるようにして防御の備えとしました。
    そのようなわけで、この「正誓寺」も城下への入り口である矢田口の要の位置に配置されています!
    場所:亀岡市矢田町

    正誓寺



    ▼2011年9月29日 円通寺

    亀岡市旧町にて、またまた古いお寺のご紹介です!
    今回は「円通寺」。形原松平家の奥方の菩提寺として創建されました。 このお寺に伝わる形原松平康信の念持仏「達磨大師像」にちょっと面白い話があるそうですので、ご紹介させて頂きます(^^)
    ある時・・・江戸藩邸の隣で火災が起こった際、一生懸命防火に励む者のおかげで藩邸は類焼を免れたそうです。その者に褒美を渡そうと探しましたが見つかりませんでした。その後、康信の念持仏「達磨大師像」の衣装の裾が少し焦げているのが見つかり、この達磨大師が火災から守ってくれたということで、その不思議な霊力に感動したそうです。
    流石亀岡城下町、先日の秋葉神社といい、火災関係のエピソードがたくさん見られますね!
    場所:亀岡市紺屋町

    円通寺



    ▼2011年9月17日 法華寺

    現在弊社で随時内覧受付中の、旧町の新築一戸建て。そのすぐ傍にあるお寺「法華寺」をのぞいて来ました! 亀山城主小早川秀秋の保護を受けて現在地に移されたお寺で、亀山城下の寺院本堂の中で最も古いのだそうです(^^)確かに年代を感じさせる立派な門構えでした。
    ところでこの法華寺、日蓮宗のお寺なのですが、実は亀岡地域では早くから臨済宗が広がり、他宗派の展開が遅れたのだそうです。日蓮宗では日伝上人が応永12年(1405年)に曽我部町で桑田寺を開創したのが始まりなのだとか。 その後1464年、荒塚で法華時が開創、そこから徐々に教線の拡大が図られました。
    弊社新築物件を見に来られた方も、宜しければ是非帰りに足を運んでみて下さい。弊社物件から徒歩20秒です^^
    場所:亀岡市本町67

    法華寺



    ▼2011年9月10日 秋葉神社

    紺屋町にポツンと佇む「秋葉神社」へ行ってきました!
    1702年・・・青山下野守忠重(あおやましもつけのかみただしげ)が丹波亀山藩主に着任した頃・・・亀山城下では火災が発生し、町家の多くが被災してしまったそうです。この時期たびたびの火災が発生し憂えた青山氏は、 前任地の浜松で防火の神とされていた「秋葉三尺坊」を勧請し、防火を願ったのが、この秋葉神社なのだとか。
    今とは違い、一度火が燃え広がると消火まで大変だった時代のことです、祈る思いも凄く大きかったのでしょうね!なんでも、江戸では、この防火の神様をあがめた「秋葉信仰」が爆発的に流行し、その勢いを恐れた徳川幕府が禁令を出したほどなのだとか!!
    見た目はこじんまりした神社ですが、こんな大命があったのですね・・・(^^)
    場所:亀岡市紺屋町

    秋葉神社



    ▼2011年1月29日 横町の洗い場

    昔懐かしい「洗い場」が、まだ横町に残っていました!城壁を思わせる建物に覆われて、今でも使われいている洗い場へ出かけてきました。場所は、もうすぐ弊社で分譲予定の旧町のすぐ近く。亀岡城のお堀の跡を利用して作られたようです。撮影日はとても寒かったのですが、野菜を洗いに来られた方もいて何となく和みました。私もいつか洗い来ようかなあ・・・いえいえ自宅から遠すぎました・・・。
    場所:亀岡市

    洗い場



    ▼2011年1月26日 横町の名木

    大通りから見えない横町のとある細道通りに・・・亀岡の名木を発見しました!細道に似合わない堂々とした枝ぶりは本当にお見事!傍の稲荷大明神もよい雰囲気をかもし出しています。通りから一歩入ると思わぬ発見があるものですね・・・!実は近日弊社より旧町で分譲予定なのです!お楽しみに・・・^^
    場所:亀岡市

    横町



    ▼2011年1月12日 南郷公園の稲荷大明神

    あちこちに寺社仏閣がある、歴史都市亀岡。南郷公園横にひっそりたたずむ、こじんまりした稲荷台明神を発見しました!!南郷公園正面から市役所方面へ端へ抜けたところに、ありました、真っ赤なお社。思わず拍手2回に拝礼です・・・。
    場所:亀岡駅前南郷公園横

    稲荷大明神



    ▼2010年10月23日 亀岡祭直前の旧町

    毎年恒例「亀岡祭」!今日はそのお祭の準備中の旧町を通りかかりました。組み立て中の山鉾もとっても趣があります。地域の絆が失われつつある・・・と散々言われる昨今、地域の方が協力してお祭の準備をされている姿はとても素敵ですね!
    小学校時代はよく「鉾の上に乗ってみたい・・・」と思っていたものですが、よくよく考えると、高所恐怖症気味の私にはとても無理だと思います(笑)大人しく夜店で食べ歩きでもしようかと思います・・・。
    場所:亀岡小学校周辺

    亀岡祭



    ▼2010年10月9日 壽仙院

    京都もお寺は多いですが、亀岡も負けていません!ただ今弊社分譲中の旧町にて、周辺をふらりと散歩中、ひっそり佇むお寺を発見しました。名前は「壽仙院(じゅせんいん)」。明智光秀が深く帰依した大誉春光和尚を中興開山としたお寺だそうです。静かな庭に入ると、水琴窟の澄んだ音色が聞こえてきました!日本人はこういう音に弱いです・・・。将来は”鹿威し”かこの”水琴窟”のある庭の傍に住みたい・・・と秘かに思う坂東でした。
    場所:弊社旧町分譲地 前

    壽仙院



    ▼2010年10月6日 亀山城跡

    まったり癒される亀山城跡をめぐってきました!幅の広い砂利道をゆったり歩いていると、仕事中なのも忘れて立ち止まって思わず深呼吸・・・用事を済ませた後で立ち寄られることをお薦めします(笑)
    高校の部活動でよく亀山城跡周辺を走っていました。懐かしいなあと思いながら1周。見渡す限りの緑に、近眼の目も少しは回復したでしょうか!?
    場所:亀岡駅降りて五分 亀山城跡

    亀山城跡




    亀山藩ってどんな所?

    亀山藩は、古来より畿内の中央に近く、京都摂津から丹後山陰に移動する時に通過する場所でした。
    日本海方面・大阪方面・播磨・若狭・近江へ抜けられる要所でもあり、 物資流通・寺社への参詣・修行・武士の参勤交代・学問研修・芸能活動等の面で、 その通過点としての重要な役割を持った地域です!


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    亀山城城下町の成り立ち

    ・丹波に軍勢を投入する足がかりの地点として、信長の配下であった明智光秀亀山城を建築しました。
    その城下町が現在の亀岡の「旧町」です!

    →城下町は元々近隣の9ヶ村より人家を呼び集めて町となりました。
     柏原村・・・柏原町
     三宅村・・・三宅町
     古世村・・・古世堅町・古世町・横町・片原町・突抜町・呉服町
     中矢田村・・・矢田町・京町
     下矢田村・・・旅籠町・新町・柳町・魚屋町・塩屋町
     荒塚村・・・本町・紺屋町
     追分村・・・西町・北町
     安町村・・・安町
     余部村・・・余部町・河原町


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    亀山城城下町の様子

    ・城下町には草葺の農家がたくさん並んでいました。(農民は城下に住んでいましたが、多くは堀の外へ田畑の耕作へ出かけていました。街中には農家が多数並び、農耕器具・牛馬が行き交っていました。)その間に商人や職人の町家が並んでいました。
    ⇒亀山城城下町は、諸方より工商の人を招き、近隣9村の人々を集住させて作った、農家と町家の入り混じる町でした。
       ↓
    商農分離による商業者の城下町集住という通説的なありかたとは異なった町だったのです。

    ・初期は呉服町・魚屋町・塩屋町・紺屋町など、その名の通りの職業が集まった町並みでした。 その他、鍛冶屋・桶屋・酒屋・油屋・豆腐屋・小間物屋・蒟蒻屋・煙草屋など庶民に馴染みのある店や、 旗屋・塗師・研屋・柄巻など、城下町ならではの店もたくさん見られました。 店舗を持たない行商人の「荷売り」も多々見かけられたそうです。

    ・元禄2年(1689年)京都から丹波を回っていた儒学者の貝原益軒は、 城下町の様子について「町長し、旅人の宿駅なり、茶店あり、民家いやし」と述べています。

     →「町長し、旅人の宿駅なり」・・・山陰道沿いの宿場町として東西に長く連なる町の
                      様子を表しています。
     →「茶店あり」・・・お店・人々で賑わった様子がよく分かりますね。
     →「民家いやし」・・・農家が混じった町なので、奇妙に見えたそうですよ。

    ・物資流通・寺社への参詣・修行・武士の参勤交代・学問研修・芸能活動等の通り道として、 また交通の要所としての亀山藩の重要性から、城下町も行きかう人々で賑わったようです。


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     城下町と参勤交代

    ※参勤交代とは・・・?
    名統制強化の一つとして寛永12年(1635年)に参勤交代が制度化。
    武家諸法度には、大名は毎年4月に参勤交代を行い、1年おきに江戸と国許を往復せよとあります。
    大名に経済負担を強いる一方、街道整備・地域文化交流・商品流通・文化交流が進んだという利点もあったようです。

    ・亀山藩でも代々特別な事情がない限りは参勤交代を行っいました。江戸と亀岡の往復は凡そ半月から20日。
    現在に繋がる亀岡祭りも亀山藩主が参勤交代で江戸詰めの時は、神輿も御旅所までの遷幸だけで 山鉾もでないひっそりとした祭りでしたが、在国の時は賑やかな祭りとなり、 神輿や山鉾も城中までも巡幸していたといいます。


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    あの伊能忠敬も訪れた!!

    伊能忠敬が亀山城下を測量で訪れています。

    ・文化11年(1814年)2月、伊能忠敬70歳の時亀山藩を訪れる。

    測量に備え城下はよく掃除され、見苦しいものはすべて片付けられ、城下を往来中の牛馬はその場に留め置かれた。 先払町人足2人、伊能忠敬他測量方9人、人足105人、梵天(測量用ポール)持ち20人、その他10人の計135人。 伊能忠敬ら6人が旅篭町に宿泊。

    亀山城本陣には表門の外に幕が張られ、左右に盛砂、番所が建てられ昼夜2人ずつ交代で羽織袴で詰めた。 今の調度品、床の間飾り、風呂桶など細かく気配りされ、 夕食には本格的な本膳料理が用意された。

    城下町を巻き込む盛大なもてなしだったことは、伊能忠敬一行を見送った後、亀岡城下測量責任者の矢田勘次郎が 「早々に退き走り帰りて酒でも飲むべし」と言ったことからも推測されます。


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    亀岡祭!

    上矢田町に鎮座する『鍬山神社(矢田社)』(祭神・大己貴神(おおなむちのかみ)は和銅2年(709)に創祀されました。 社伝によると「亀岡〈亀山〉盆地がかって湖であった頃、諸国巡国中の大己貴神(大国主神(おおくにぬしのみこと)が黒柄山に神々を集めて相計り、一艘の樫舟に乗り込み、1杷の鍬で請田(保津峡)の峡を開き、肥沃な農地にかえた。里人たちはこの神徳を称え、天岡山の麓にお祀りした。」と伝えています。

    戦国時代には祭りが中断し社殿も荒廃しましたが、戦乱もおさまり、世が落ち着きをとりもどすと、歴代亀山城主も積極的に神社の復興にのりだしました。

    亀山祭は、古い土地の祭神を母体としながらも、亀山藩主を始めとする支配階層の祭神をも合祀した鍬山神社の祭礼を媒体として領民との和合を図る中で、亀山藩の保護のもと町衆の祭りとして執り行われてきました。
                                亀岡祭山鉾連合会HPより
               http://www.kyoto-kameoka-kankou.jp/k-maturi/index.html

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    本町と亀岡祭 「三輪山」

    亀岡祭での本町の山鉾は、「三輪山」です。

    大和の国三輪山山麓に鎮座する大神神社の祭神である「大物主大神(おおものぬしおおかみ)」をご神体とし、 能楽の「三輪」の後シテの女神像で表しています。
    「古来一社の神秘なり」として三輪山の大神神社に現存する三ツ鳥居は、全国鳥居は数あれどこの形式は唯一無二のものです。

    亀岡祭は戦後しばらく中断していましたが、昭和28年ごろに復活し 三輪山鉾だけが町内の巡行を続けるなど、 鉾町民の維持と保存継承にかける心意気と未来に向けた不断の努力を、囃子の音色に感じて頂けたらと思います!
                           亀岡祭山鉾連合会『亀岡祭』より抜粋

     三輪山   山鉾   三輪山


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