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保津町

▼2013年07月07日 保津百景 どんどんおろしの坂

保津百景の一つ、「どんどんおろしの坂」です! 少し勾配が急なもののいたって普通の坂なのですが、ここは毎年行われる「保津の火祭り」の練り場なんです!

保津の火祭りとは・・・
毎年10月に行われる保津町の請田神社と八幡宮社の例祭で、 両神社間を花傘・太鼓・榊・剣鉾:神宝・行灯・松明などを持った人が練り歩くんです。 また、保津八幡宮の頓宮前では火が焚かれていまして、 その回りを「あつい・あつい」と言いながら3周をまわると言う伝統的な習わしもあります。

火を使ったお祭り、とても迫力がありそうですね! 保津の火祭りを特集した記事を見ていると、まさしく「勇壮」という言葉が似合うような、そんな雰囲気でした(^^)

場所:亀岡市保津町 八幡宮社の近く

どんどんおろしの坂



▼2013年06月02日 保津百景 水車跡

「保津百景道しるべ」の一つ、水車跡へ出かけてきました! すぐ横には「悪病・疫病封じの六地蔵」があります。 2〜3mがありそうな大きな木製の水車が元気に稼動していました! なかなか日々の生活で水車を見ることはありませんが、じーっと見つめていると和みますね。 亀岡のクニッテル通りには、古くからの水車跡が看板で残っているのですが、 そちらは本当に「跡」だけで実物はありませんので、保津で見られて良かったです(^^)

場所:亀岡市保津の田んぼ 保津百景道しるべ

保津百景



▼2013年05月30日 保津百景 六地蔵

「保津百景道しるべ」の一つ、「悪病・疫病封じの六地蔵」へ出かけてきました! もう一つの名所、水車と一緒に、田んぼの真ん中にありますので、遠くからでもすぐに見つけることが出来ました! 屋根付きの小屋に鎮座するお地蔵さんは確かに6体。 お供えのお神酒がありましたので、どなたかが日々お供えに来られているのでしょうか? 田んぼに囲まれたロケーションが大変綺麗で、散歩がてら訪れるにはいい場所ですね(^^)

場所:亀岡市保津の田んぼ 保津百景道しるべ

保津百景



▼2012年04月07日 旗立楊

篠村八幡宮横にある旗立楊(はたたてやなぎ)です! 1333年5月7日に足利尊氏がここ「篠村八幡宮」で挙兵し、鎌倉幕府を倒しました。 1万騎あまりの軍をこの地に集結させ、戦勝祈願の源願文と鏑矢を献上し、 そしてこの旗立楊に白旗を立て、六波羅探題を攻め倒したとされています。 以後この楊は挿し木をして受け継がれているのだそうです。

場所:亀岡市篠町 篠村八幡宮横

旗立楊



▼2012年03月31日 保津八幡宮

保津地区では、2つの神社を祀っています。 その内一つが2012年01月14日にご紹介しました、請田神社。 そしてもう一つが、今回出かけてきた保津八幡宮です(^^) 10月には両神社合同で「火まつり」が行われています。

保津の火祭り・・・
五穀豊穣を祈願して行われ、 保津八幡宮と請田神社を、花傘・太鼓・榊・剣鉾:神宝・行灯などを持った行列が往復します。 保津八幡宮の頓宮前では火が焚かれ、 火の回りを3周をまわると言う伝統的な習わしがあり、「あつい・あつい」と言いながら、皆さんが回ります。

境内には保津の名木である「保津八幡の楠」や、古めかしい情緒たっぷりの鐘楼などもありました^^

場所:亀岡市保津町宮ノ上21 保津八幡宮



●保津町●


牛松山のふもとに散在する保津町は、古く嵯峨天龍寺造営の頃から保津川を筏で下流の京都へ木材を運送した歴史とともによく知られた町です。
昭和も戦後となり陸上トラック輸送の発達から筏下りは姿を消しましたが、遊船が川下りの観光産業にかわって伝統的な渓谷下りの技能を継承し、全国的にも有名な「保津川下り」として発展しています。



●オツト岩●

≪保津町の伝説≫

請田神社の道端に大きな岩がありますが、里人はこれを「オツト岩」と呼んでいます。

昔、牛松山の金比羅様が大きな岩を転がされると、岩は谷を越え山を越えて転がって愛宕山に突き当たり、またはねかえって今ある所まで転がってきました。

丁度その時、靖田の神様が騎馬でその場を通りかかり、持っていた扇で「おっと」と掛け声とともにこの岩を受け止めました。そのため岩はその場所に留まり、扇の形がついたといいます。



●女夫墓●

≪保津町の伝説≫

今はあとかたもなくなりましたが、昔、亀山城保津門を出た畑の中に塚があり、そこに2本の椿が根元から3尺ばかり上で一つに結ばれて生えており、その木の根元に小さな仏様を刻んだ石があったそうです。

松平候の小姓で稲尾という男が殿様の侍女と仲良くなったのですが、ある時恋文を誤って落としてしまったのを殿様に見られ、二人は大層怒られて別々の場所に閉じ込められてしまいました。

そこで2人は二度と会えないと思いある日壁を破り二人で牢を破って逃げ出しました。しかし城の堀は深く七重八重の扉を越えることはできず、追っ手に捕まり2人とも殺されてしまいました。

その塚から2本の椿の芽が出て結び合ったものだと言います。



●乳母ヶ淵●

≪保津町の伝説≫

むかし亀山(亀岡)に青山という大名がおり、1人の男子生まれ乳母が一人ついて大事に育てていました。

ある日、乳母がその男の子を連れて保津川に遊びに行った時、ふとしたことで男の子は川へ転落して流されてしまいました。乳母は大声で救いを求めましたがその甲斐もなく男の子は溺れ死んでしまいました。乳母は殿様に申し訳ないと嘆き、直ちに川へ身投げして死んでしまいました。

それから雨になると乳母が投身自殺した所、俗に乳母ヶ淵から青い火が出て保津橋の付近をうろつき回るということです。



●嫗ヶ火●

≪保津町の伝説≫

むかし保津川に一人の老婆が住んでいました。遠い国の人の赤子を貰い養うことを目的で大金の代償を受け取っていました。

しかし老婆はあくどく、赤子を育てずに保津川に沈めていました。初めのうちは知られていませんでしたが、いつの間にか事がばれてその老婆は処刑させられました。

その後老婆の悪念が迷い凝り固まって火となり、雨の夜は特に月のない夜でも保津川を照らし、山の峰々を駆け巡っては消え、丁度翼のあるもののようであり人々に恐れられたと言います。



●靖田神社●


四面を山に囲まれたこの丹波平野は昔は赤い泥水湖水が漂っていたのだと思われ、これが「丹波」の名の起源だとも言われています。

大山昨命(オオヤマグイノミコト)はこの東の山峡を切り開けば良い平野ができると考え、鋤を持ってきて開拓し湖水を山城平野に流しました。これにより丹波平野ができたと言われ、切り開かれたところが保津峡です。

大山昨命は丹波開拓の大恩人ですので保津峡の河口の東に社殿を建立、鋤を神宝として神功を讃え丹波の鎮めと神霊を祀ったのが当神社です。



●金比羅神社●


当神社は保津川の山頂に鎮座しています。

保津町の崇敬神社で、ことに保津川下りの舟を扱う人たちの信仰があつく、毎年1月10日、10月10日の金比羅さんの日には登山して祭典を執行しています。


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