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亀岡市,不動産,中川住研

●東別院町●


亀岡市の最南端部にあるのが東別院町です。市街から茨木市に通じているため、大阪万博の頃からこの道の通行量が増え、市街から大阪へ車で通勤する人も多くなっています。

江戸時代にあって倹約を説き商人道を講じた「心学」の石田梅岩の生誕の地です。



●春日神社●

≪東別院町東掛一アン6番地≫

明治43年、現在の春日神社に移転するため八幡宮の社屋をその場で焼却したところ、焼却中に大異変が起こり、轟々と旋風が吹きすさび、何とも例えようのないもの凄さだったという言い伝えが残っているそうです。

なお、その棟木に歌が一種あり、「朝日輝くトガの尾(またはトラの尾)の三つ葉つつじのその下に黄金千両埋め置く」と書いてあったので、当時は宝探しブームが起こったそうです。ただし誰も掘り当てた人はいなかったとか・・・。



●小滝神社●

≪東別院町大野桧用≫

境内には小宮が二つあり、弁天さん紙魚明さんが祀られています。

弁天さんは七福神の一人の女神さんで、水の神様だったため、ため池により大部分の田んぼを養っていた当時の状況で旱魃の被害を避けるために加護をお祈りしたようです。

紙魚明さんは、江戸時代に年貢の記録帳にある石高の文字の一部が紙魚という紙を食べる虫により食べられて消失してしまい、年貢が大変に減ぜられたことに感謝してお祀りするようになったと言い伝えられています。徳川幕府の封建社会の圧政に苦しむ農民のエピソードとしてとても面白い神様です。



●徳神社●

≪東別院町神原≫

大昔の亀岡盆地は大蛇が住む泥湖であったと言い伝えられています。そのころの出雲の大神達が、霧の立ち上る湖が見渡せる高台に集まって色々相談され、現在の高槻市に繁るカシの木で舟を作り、鋤や鍬で「諸田」の谷を切り開き、泥水を流し込んで現在の肥沃な亀岡盆地が生まれたと言われています。

この大事業を計画した神々が集まった所が「神原」であり、その神々のご神徳をあがめて祀ったのが神原にあるこの徳神社です。祭神は山林農耕の神として崇敬されています。

「朝日輝き夕日照る所に黄金の鶏が埋めてある」と昔から神原の人たちが伝えてきた黄金伝説は、もとの神社付近になり(現在は今の場所に遷座しています)、子孫に大きな夢とロマンを与えています。



●稲荷神社●

≪東別院町倉谷東谷55≫

亀岡市の南端で標高320mの高地にあります。
12月5日の御火焚祭りは有名で、その夜は社務所の庭で大火を焚いて豊作を祝うのですが、その日に必ず初雪が舞うのはなんとも不思議なことです・・・。



●玉依神社●

≪東別院町湯谷岳山29-1≫

古老の口伝によると、昔小野小町が当地に来て薬師堂に参籠し湯浴みをしたということです。この地は往古に湯泉が湧き出たことがあり、祭神は温泉の守護神です。



●鎌倉神社●

≪東別院町鎌倉見立11番地≫

亀岡市の南端で大阪府との境の標高400mの高原にあるため、見通しの良い日には亀岡盆地や大阪湾方面が見えます。225段の石段は巾2mの花崗岩で整備され、丹波地区では稀に見る階段であるということです。

古老の伝によると、昔信仰の深い農夫婦がいました。子宝に恵まれなかったので毎日神社にお参りして祈願していたところ、ある夜夢のお告げにより川で拾った瓜から小さな女の子が生まれました。目に入れても痛くない程可愛がって育て、美しく成長してお嫁に行くことになりました。

ところが両親がいない間に近所のいじわる爺さんがやってきて娘を木に縛りつけ嫁入りを妨げようとしました。すると一羽の鳥が飛んできて娘を助け、娘は無事に嫁入りをして幸せな家族を築けたということです。この伝説からも、安産の神様であり、農の神様であり、知恵の神様、商売繁盛の神様であるということです。


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