無料会員登録
HOME >  亀岡パワースポット&歴史情報  >  亀岡市ひえ田野町の歴史


亀岡市,不動産,中川住研


▼2011年5月21日 龍潭寺

時代劇は全く見ない私ですが・・・またまた亀岡で時代劇ロケ地としてよく使われる龍潭寺へ出かけてきました!銭形平次、眠狂四郎、暴れん坊将軍、子連れ狼、水戸黄門・・・知らない人はいない有名時代劇でたくさん使われているのだそうです。 もの静かなロケーションで、特に、山道から見える木造の山門が緑と相まって本当に綺麗です^^この山門は時代劇でもよく見かける(寺や関所として撮影に使われるそうです。)とのこと・・・実物は情緒感たっぷりの素敵な山門でした・・・私の拙い撮影技術が本当に悔やまれます・・・。池や墓標や巨石の林や、確かにロケ地として色々な使い方ができそうです!
場所:亀岡市稗田野町太田

龍潭寺



▼2010年10月16日 稗田野神社

無形民俗文化財の佐伯郷燈籠祭が行われる稗田野神社を初訪問しました!
大きな鳥居をくぐって境内に入ると、ご利益のありそうな様式がたくさん!@悪病を封じてくれる「癌封じ瘤の木」A願いを達成する気力がわく「石の環くぐり」B滝口から出る「長寿の水」C意欲と気力がわいてくる「必勝願掛け石」・・・etc。
数十分ほど滞在しただけですが、何やら心身がリフレッシュしてやる気が湧いてきた様な・・・。もの静かで落ち着きのあるおすすめスポットです!
場所:亀岡市稗田野町佐伯垣内亦1

稗田野神社



▼2010年10月2日 亀岡市ひえ田野の桜天満宮

天然記念物の桜石を見に、いざ車でひえ田野町へ!
・・・と勢い込んだのは良いですが、入り口が見つかりません・・・。車でうろうろ、歩いてうろうろ30分、ようやく入り口を発見。案内板も一切ない、普通の小さな山道入り口でした。私の拙い運転技術で発見できたのは奇跡です(笑)
さて桜天満宮に到着、地表に桜石が多数露出しているはずなのですが・・・迷っている間に夕闇が迫っていまして、見つけることができませんでした。残念!次回こそは!
場所:亀岡市ひえ田野町柿花 桜天満宮

桜天満宮




●ヒエ田野町●


丹波の奇祭として有名な「佐伯燈籠」や、天然記念物「菫青石」(桜石)が産出します。

昔から湯の花という地名で呼ばれている「湯の花温泉」は、昔傷ついた兵士が秘かに刀傷を癒した温泉とも伝えられています。

鹿谷の山から出る「タングステン」は戦中盛んに採掘されましたが、現在では閉山されてしまいました。



●河阿神社の狒々●

≪ヒエ田野町の伝説≫

河阿神社の森の中に昔1匹の大狒々が住み着き、毎年村の娘を一人ずつ食べていました。当時は村の家に矢が立つと、神様のお召しだとしてその家の娘を白い布に包み箱に入れて神前にお供えしなければなりませんでした。

ある時村人や家の人が泣き悲しんでいる所へ通りかかった武士が事情を尋ねました。話を聞いた武士は「わしが助けてやろう」と言って村人にたくさんお酒を用意させ、娘の身代わりとなって箱に入り神前に運ばせました。

真夜中頃に大狒々が現れ、まずお酒を飲んでから娘を食べようと思い酒を飲み、酔い潰れてしまいました。武士はその隙に大狒々を殺してしまいました。

この武士が岩見重太郎であったという一説もあります。



●独鈷抛寺のいわれ●

≪ヒエ田野町の伝説≫

ヒエ田野町鹿谷に独鈷抛山千手寺という臨済宗のお寺があります。俗にこの寺を独鈷抛寺(とこなげ寺)と言います。
同寺の伝説によると次のようないわれがあるそうです。

弘法大師が唐から帰朝される途中の船の中で手に持っていた独鈷を高く放り投げました。帰朝後奈良の春日神社に参り、神託によってこの地に来て大樹にひっかかっていた独鈷を見つけ、このゆかりで創められたのが千手寺だということです。
弘法大師は春日神社の神鹿が先導してこの地へ来たため、この地を「鹿谷」と呼ぶのだそうです。

この千手寺に登る道に屏風のような岩が3枚あり、ここで転んでしまうと3年目に死んでしまうと言います。

また、山頂には観音岩と呼ばれる岩があり、次のような話が伝えられています。

むかしこの岩に白い鳩が止まっていたところ、男が射た矢が鳩の目を貫きました。そのまま鳩が飛び去ったのでその血の後を追いかけると、独鈷抛寺の本堂に続いていました。これは観音様が白鳩に化けていたもので、そのため同寺の観音様は片目であり、眼病に霊験があると言われています。白鳩を射た人は間もなく亡くなりましたが、その子孫は目を病むと言われ、また、兄が矢を引けばかならず弟の目に矢があたると伝えられています。



●ヒエ田野神社●

≪ヒエ田野町佐伯垣内≫

稗田野町と吉川町にまたがる旧佐伯郷の4社(稗田野神社・御霊神社・河阿神社・若宮神社)が合同で行う盆行事に「佐伯灯籠」があります。

佐伯灯籠は、五穀豊穣(ほうじょう)を願う地域の祭りとして始まり、神事と盆行事が結びついた全国でもめずらしい祭りです。京都府の無形民族文化財に指定されているほか、文化庁の「記録作成などの措置を講ずべき無形民俗文化財」にも指定されています。

祭りは、農作業の様子を表す人形が飾られた役灯籠がみこしとともに力強く巡行。台灯籠という小さな舞台の上で、独特の動きをする串人形を使って人形浄瑠璃も行われます。また、夜には、みこしが灯籠を追う「灯籠追い」や太鼓とみこしがぶつかり合う「太鼓掛け」が行われるなど、一日多くの人でにぎわいます。



●河阿神社●

≪ヒエ田野町柿花宮ノ奥8番地≫

当神社は約2000年前に九州方面から移住してきた南方系の採鉱治金術を知った部族によって創始されたのではないかと言われています。それはご神体が蛇骨であったことや、人身御供の伝説があることからも類推されます。

天正5年に明智光秀が亀山城築城のため各地の寺社を取り壊し築城の材料を集めた時に当神社も壊滅状態にされましたが、20年後くらいに復古されています。





●桜天満宮●

≪ヒエ田野町柿花≫

右大臣菅原道真公の近臣に、ヒエ田野町の鹿谷が郷里の高田若狭之介正期という忠義者がいました。道真が時の左大臣藤原の時平により左遷させられる時、彼は道真から形見として長年寵愛した桜樹を賜りました。

それより300年後、寺の守護神として境内に植え替えたところ、奇怪にも桜樹の下の岩に桜の花びらの形が現れました。神慮により、桜の樹は枯れるので岩石に花の紋を残されたと書にはあります。

現在は国の天然記念物として「桜石」(正式には「菫青石仮晶」)と呼ばれ、日本有数の優美な花形と金銀色彩を楽しませてくれます。


空白
お問合せ無料会員登録
トップへ戻る